To これから歩くハイカーへ
Hey, y’all!
こんにちは。トレイルブレイズ ハイキング研究所のTurtle a.k.a. 長谷川です。ニュースレターへは、何度目かの寄稿となります。
今回、新たな企画として「HIKER TO HIKER」が追加されました。光栄にもその第1回目を承った次第です。
直訳すれば「ハイカーからハイカーへ」ということになりますが、これはハイカーだけに限った内容ではありません。みちのく潮風トレイルを愛してくださる皆様へ、ぜひ知ってほしいことをお伝えできる場所にしていければと思っています。
ハイキングは、1人でもできる行為です。しかし私たちがトレイルを歩けるのは、その時には見えないかもしれない、多くの人たちの思いや行動の積み重ねがあるからこそ成り立っています。
僕がアメリカのPacific Crest Trail(PCT)を歩いたのは、今から16年前の2010年に遡ります。まだ日本では「トレイル」という言葉自体の認知がほとんどされておらず、それを歩くことがどういうことなのか、言葉にもなっていないような時代でした。僕もただ毎日ハイキングに向き合い、毎日痛くて、毎日苦しくて、それでも「歩くのをやめたい」とは一度も思わずに、約5ヶ月半、アメリカ西海岸のトレイルを「北へ北へ」と歩いていました。
そんな日々を支えてくれたのは、歩きやすく整備されたトレイルそのものでした。そして、それを運営し、維持し続けているPacific Crest Trail Associationと多くのボランティアの人たち。さらに「Trail Angel」と呼ばれる人たちの存在です。時に家に泊まらせていただき、食事を振る舞ってくれ、トレイルヘッド(登山口)までの送迎をしてくれるなど、本当に多くの人がハイカーを支えてくれていました。
そして何よりも心強かったのは、トレイルを全線歩き通すという同じ目的を志す、PCTのハイカー仲間たちです。「スルーハイキングをしている」と知るだけで、初めて会うハイカー同士でもまるで数年来の友人のように支え合い、時に背中を押し合う存在でした。
PCTを歩いていたある日。いつの間にか、そしてやっとの思いで長い長いカリフォルニア州を終え、オレゴン州に入ったところに、レジスター(紙に書くアナログな記帳ノート)のポストが立っていました。いつものように箱を開け、そのノートを数枚めくると、過去の記録が残っていました。2009年のスルーハイカー“Yas”の名前を見つけ、興奮したのを覚えています。
それをさらにめくると、もっと古い記録が残っているのに気がつきました。何人も何人ものハイカーの名前をめくり、たどり着いたのは、僕の知る限り、PCTを歩いた日本人ハイカーのレジェンドたちの名前でした。2004年のSkye、2003年のHiiro、そしてTea Cup夫妻。それに続くハイカーたちの名前を見たとき、気がつくと涙が溢れてきました。
背中がゾワゾワっとしました。ふと脳裏に、僕の後ろにたくさんのハイカーの姿が連なっている画が浮かんできました。同時に、僕の先にも続いているだろうハイカーの姿が見えました。「今、僕の一歩は、これまでのハイカーたちの一歩に重なっている。そして僕の一歩の上に、これから歩くハイカーたちの一歩が重なるんだ」と思うと、とても気が引き締まりました。そして、その連なりの中に自分がいられることが幸せで、決して1人ではないのだと、心から感じたことを強く覚えています。
「ちゃんとしなきゃ」って思いました。トレイルを美しく保ちたい。運営の人たちに敬意を払い、協力したい。地域の人たちに配慮し、一緒にトレイルを盛り上げたい。僕の小さな迷惑がハイカーへの印象を悪くして、先に続くみんなに迷惑をかけないようにしなきゃ、ってね。
偉そうに何かを述べたいわけではないし、ハイカーが全てを知っているわけでもありません。けれど今、みちのく潮風トレイルで何が起きているのか、ハイカーに知ってほしいことがいろいろあります。そんな言葉を、時々に、様々に、多様な人々が紡いでいけるような、そんな場所がこの「HIKER TO HIKER」になると良いなと思い、筆を置きます。
Best friends,
Turtle



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